ないないづくし、でも、、、、。

松下幸之助という人は、何も持っていない人だった。 
まったくない。 

まず、金がない。 
父親が、米相場で失敗して無一文になってしまった。 
一家は離散し、両親、兄弟を早くになくしています。 
親譲りの財産も、自分のたくわえもない、まったくの無一文。 
だからゼロから事業をはじめなければならなかった。 
元手なんてものがないから、手堅い上にも手堅くやらなければならない。 
自分のために保証人になってくれる人なんていない。 
そういう厳しい環境で事業をはじめた。 
自宅の土間で、ソケットを作るところから、事業をはじめた。 
事務所を構えたり、宣伝したりというような事は一切しない。
今いるところで、元手なしで出来る。 
そこからはじめたから強かったのです。  

学がなかった。 
小学校に、三年行ったか行かないかで、大阪に丁稚に出ました。 
後に、電気会社の職員になり、頭角を現します。 
手際がいいし、人当たりも抜群だった。 
職員から技師になろうと、夜学に通うが、うまく行かない。 
だいたいの理屈は解るけれど、字が読めないんですね。 
何度も中退しては入りなおしているけれど、やっぱり駄目。 
学がない、知識がないから、自分の頭で考えなければならない。  

健康もなかった。 
栄養状態もよくなかったからでしょう。 
幸之助は二十代のなかばに肺を患い、敗戦後、抗生物質が輸入されるまで、治りませんでした。 
容態の変化はあるのですが、酷い時には、一年ぐらい病臥している。 
そうすると、経営の前線にたてない。 
どうしても、人に任せざるをえない。 
任せると人が育つのですね。 
いい番頭を何人ももつことが出来て、これが松下電器飛躍のバックボーンになった。  

金がない、学がない、健康もない。 
絶望的な状況です。 
そのマイナスの重なりを、全部プラスにしたのです。 
何もなくても、人は生きていける、成功できるということを示してくれたこと。 
これが松下幸之助のなした一番、素晴らしいことだと思います。