ちょっとためになるおはなし

就職活動で苦労して会社に入ったものの、
 理想と現実のギャップにぶち当たり、
 外れくじを引いたように感じている人も多いかもしれません。
 
 しかし本来仕事には、当たりも外れもありません。
 当時はつまらなくて仕方がないと思っていたはずの仕事が、
 後にその人の大きなベースとなるようなことが
 往々にしてあるのです。


 私が入社して四年半が経ち、二十七歳になった時のこと。
 広島に技術部門が新設され、私は大阪本社から転勤を命じられました。

 その広島の勤務地に、新卒で入社してきた
 後輩のエンジニアがいました。
 他の同期は東京や大阪本社に配属され、
 彼一人だけがぽつんと広島にいる。
 周りの先輩とは年が離れていて普段話せる人もいない。
 
 季節は夏を迎えていましたが、
 彼は毎日つまらなさそうな顔をして
 図面と向き合っていました。

 私はそんな彼に「いま何の仕事をしてる?」と
 声を掛けました。
 
 すると彼は
 
 「横田さん、私もう、ずっとこんな雑務ですよ。
   同期は東京で打ち合わせに参加したとか、
   自分の資料がプレゼンに使われたとか、
   楽しそうに話してる。
 
   自分はアルバイトにでもできるような
   雑務ばっかりさせられて……。
   もっと技術屋的な仕事がしたいです」
 
 
 と言って不貞腐れていました。
 
 私は「あぁ、そうか」と返事をして、もう一度、
 「おまえがいまやっているのはどういう仕事なの。
  その図面の縮尺は何分の一?」と聞きました。
  
 すると彼は「えっ、ちょっと待ってくださいよ」と言って、
 端っこに書いてある縮尺の数値を読もうとした。


「おまえ、数字を見ないと分からないのか。
 半年間もずっとその図面の作業をしてきて、
 いまだにそれを見ないと分からないのか。
 半年間勿体ないことしてるよなぁ。

 一つの図面を散々見続ける経験なんて滅多にできんことやで。
 どんな図面がきても、これは何分の一の縮尺だと
 パッと見て言える。それが技術屋の仕事というもんや。
 
 おまえは朝から晩までそれだけをしていて、
 なんで覚えられんのや」


 私の言葉を聞いて、彼は初めてハッとした表情を浮かべ、
 
 
 「自分はこの半年間、雑務としか思いませんでした」
 
 
 と言いました。


 「おまえの先輩が雑務としてこの仕事を与えたか、
  経験として与えたかは分からない。
  いずれにせよ、おまえはそれを経験にはしなかった。
  
  この半年間ただ“消費”をしただけで、
 “投資”にはなっていない。

  図面を見ただけで、縮尺も何も瞬時にして分かる。
  その技術は教科書にも書いていなければ、
  学校の先生も教えてくれない。
  
  これは経験でしか得られないものなんや。
  おまえはその経験の場を与えられてる。
  おまえはすごく恵まれてる。
  
  同期の人間なんかより、おまえのほうがずっと恵まれてる。
  それをおまえは分かってないだけや」


 彼はこのことがあってから、目の色を変え、
 嬉々として自分の仕事に励むようになりました。

 二十代は夢や理想が人一倍強いため、
 会社や上司に文句を言いたくなることも多いかもしれない。
 
 でもそれは自分の知っている、
 ごく狭い世界の話であることが多いのです。
 
 広島にいた彼は、いま自分が置かれている環境で
 できることは何だろう、ここにいる特権とは何だろうと
 考えたこともなく、無益な日々を送っていた。
 
 しかしここから何を学んでいこうかという気持ちや、
 何かを得てやろうという思いさえあれば、
 誰もが充実した日々を過ごせるはずなのです。