「鳴かぬなら」の第一句に、天下取りを果たした
戦国時代の三人の武将が三様の第二句をつけた
有名な「ほととぎす」の句がある。
信長は「殺してしまえ」といった。
秀吉は「鳴かせてみよう」といった。
家康は「鳴くまで待とう」といった。
もちろん史実ではない。
だが、三者三様の個性、やり方、歴史的役割などを
あますところなく表現して見事である。
以前、ある人が八百人ほどの経営者にこの
「ほととぎす」の句を示し、
「あなたはどのタイプか」と質問した。
ほとんどの経営者がそれぞれ信長、秀吉、家康になぞらえて、
「自分は何々型である」と回答した。
その中でたった二人だけ、自分はどのタイプでもない、
と答えた経営者がいた。
「では、あなたならどう詠むか」
とさらに質問すると、一人はこう答えた。
「鳴かぬならそれもまたよしほととぎす」
もう一人はこう答えた。
「私は俳人ではないのでうまく詠むことはできないが、
その三つのタイプには入らない」
前者が松下幸之助氏であり、後者が本田宗一郎氏である。
人間は選択肢を与えられると、
その枠の中に閉じこもってものごとを考えてしまいがちである。
与えられた枠、既成概念を踏み越えて
発想を飛翔させることが難しい。
松下氏も本田氏もそれができたからこそ、
新しい流れをつくり得たのだろう。
さて、時代はいま、いよいよ混迷の度を加え、閉塞感が色濃い。
これを突き抜け、新しい流れをつくるには何が必要か。
歴史の中に、企業経営の中に、
新しい流れをつくってきた人たちがいる。
そこから流れをつくり出す条件を探り、学ばなければならない。
流れをつくる。
そのためにわれわれ日本人がどのような発想に立ち、
何をなすかを見定めるのは、焦眉の急なのである。