矢沢永吉さんのおはなし2

永ちゃんの感動する話の2回目です。 

臆病だから、勝ち抜ける 

気持ちが悪いことは 

放っておくな 

僕は自分の中に鋭敏なレーダーを持っている。  

自分はまともな人間だと思っているから、芸能界で当たり前のように人が準じているルールに対しても、変だとレーダーが働く。  

それはきっと僕自身が臆病であるからだ。 

これからもずっと矢沢らしく歌って生きたいと願うから、それを阻むものに反応する。 

だからいつでも自分に質問を投げかけてきた。 

後悔はしていないか。 

何かおかしいと感じていないか。 

今の僕は間違っていないか。 

その質問に、頭で理屈を考え、自分を納得させることが大事だ。 

自分で臆病だと認めるのはなかなか難しい。 

しかし、本当は臆病と緻密な考えとは背中合わせにあって、怖いからこそ有効な防衛策を繰り出せるのだと思う。 

とにかく目をそらさずに自分の現状をはっきり把握したいと僕は思う。 

うちの会社ではいつも若い人に言う。 

例え先輩に対してでも、言うべきことをのみ込むなと。 

やっぱり上の人間は、少しずつ時代遅れになっていたり、古い習慣になじみすぎて細かい良しあしが分からなくなっていることがある。 

ささいなことでも、見えたら発言するべきなんだ。 

1987年当時、一つの頂点を極めた僕に、移籍した先の東芝EMIのディレクターがこう言った。  

「ボス、はっきり言います。 
今のボスは車で言うとロールスロイスです。 
業界も世間も認める高みにいます。 
でも、我々サラリーマンでも手の届きそうな190E小型ベンツになりませんか」 

その頃矢沢が直面していた危機がそれで理解できた。 

あの一言には心を揺さぶられたね。 

自分たちの人生は自分で守らなきゃいけない。 

矢沢の歌手生命だってそうだ。 

自分らしく生きていくってサバイバルなんですよ。 

それを日本人はどこかで他人任せにしてきたと思う。 

国が守ってくれる、法律が守ってくれるって、本当か。 

国家賠償を頼みの綱と念じても、裁判をすればほとんど国が勝訴する。 

信じて払い続けてきた社会保険制度だってボロボロだ。 

これは起きるべくして起こったと思う。  

国民は「お国様」を無心に信じてきたけれど、国を動かしている役人も人間で、自分の身が安泰ならどこかで危機管理意識がゆるくなるものなんだ。 

そして、その精神はきれい事や建前に甘んじている。 

役人が変だと感じても、誰も論じようとしない。 

その危うさはかろうじて立っている積み木のようなもので、1カ所バランスが壊れたら、あっという間に全部が崩れ去るに違いない。 

若い人が自分の仕事をどう考えるか、ということにも甘さが見えるね。 

漠然とエンジニアになるとか、スポーツで食べていくとか、ぼんやり絵に描いた餅のような目標から、もっと尖ってつきつめていかないと、何者にもなれないよ。 

スターになる、と夢のようなことを言ってきた矢沢が、そんなことを言うのはおかしいか。 

でも、僕は小学校の頃から貧乏でサバイバルしていたし、目標が鮮明だった。  

若い人は、甘い現実にいるということから知らなくてはと思うね。