スタッフらくがきBLOG

矢沢永ちゃん最終話

2013年11月6日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
永ちゃんの感動する話の4回目、最終回です。 

幸せに向かっていますか? 

僕の生き方を見て勇気をもらったと言ってくれる人は多い。 

現役でがんばり、手痛い目にあっても必ず立ち上がってくる姿がいいって。  

でも、僕のことを観客席から声援しているだけじゃなくて、みんな自分の人生を目いっぱい走っていますか。 

リストラされて、もう生きる気力がなくなったなんていう人がとても多いけど、考えてもみて欲しい。 

リストラされるのはその人の能力がないからじゃないし、人格を否定されたわけでもない。 

単なる会社の都合だけだ。 

経営者は税金を払ったり、会社を継続させるために苦しい選択として、必死でリストラをしている。  

そんな会社の都合だけなのに、自分の人生を自分でとことん否定するなんて違うと思いますけれどね。 

辛いのはわかる。 

でも、また立ち直れるじゃないですか。 

雑誌やテレビ、新聞にも惑わされないほうがいい。 

マスコミはリストラされた人間に対して、能力的に問題があるように語るけど、彼らにおれの何が分かるんだと思うでしょ。 

だって、リストラされる前と、された後と、自分自身は何も変わっていないはずだから。  

地道にがんばってきた仕事人を馬鹿にするなと言いたいよね。  

家族を養うために、会社の業績のために、毎日どれだけ誠実にやってきたか。  

本当はそういう仕事人で日本という国は成立している。 

親父サラリーマンが、みんな、もう地道に働くのは疲れたと言って、仕事を放り出して釣りにでも行ってしまったら、日本なんてガタガタでしょ。 

人には底力があるんだ。 

だからまだ何度でも走り出そう。 

矢沢もがんばるから、みんな自分人生の主人公として元気を出そう。 

その時の、人の思惑なんて気にせず、自分の闘い方でいいと僕は思っている。  

若い人は「中年はダサい」とか、「親父は古い」なんて決め付けているけれど、本当にそうかと真剣に考えてみたことがあるだろうか。 

僕は息子に言う。 「お前は大学生だけど、まだ何者でもない」ってね。 

僕は高卒だけど、人生を自分なりに生きて、やりたいことをやり、多くの体験をし、悪くない一生だったと言えるだけのことをしてきた。 

最終的には「人生の東大生」なんだと。 

自分の人生がどうなれば幸せなのかって、本当に本人でなければ分からないんだ。  

だから若い人でも、中年でも、とにかく自分に問いかけてみるしかないのだと思う。  

どんなに有名になっても、いくつものビルを建てることに必死になっても、死後まで持っていくことは出来ないしね。  

自分が棺桶に片足入れた時に、「おれの人生悪くなかった」と思って卒業するにはどうすればいいかでしょう。  

誰にでも大切なのは、自立することだと思う。 

僕はそれをおばあちゃんから教えられた。 

生活保護を受けながら孫の僕を育て、好きなお酒を飲むお金は、人の家の草を刈って自分で用意していた。 

一緒に暮らそうと言う子供にも頼らず、最後までそうやって生きた。 

かっこよかったね。 

僕も自立した心で、自分の人生を思うように走りたいと感じたものだ。 

最近の日本は何かが壊れている。 

社会に迷惑かけたり、依存したり。 

でも、自分で立ち、自分の手で稼ぎ、そして自分の幸せを目指そうよ。

くまモンの落としもの・・・。

2013年10月31日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
昨日ニュースに出てました。。。 

あの『くまモン』が大事な大事なトレードマークの『赤いほっぺ』を 

落としたそうですよ。。。 

っていうか、落ちることにびっくりですね^^; 

さぞ、本人はかなりびっくりしたことでしょう。 

人気者だから、疲れちゃったのかもね^^;

おいしいものを食べると『ほっぺが落ちる』とはいいますが・・・ 


ほっぺのないくまモンも可愛いですけどね  

今じゃどこに行ってもくまモンのグッズだらけ。 

素晴らしい経済効果です 


くまモン、ただ今ほっぺ捜索のビラをまいているらしく、、、

『ほっぺを探してほしいモン!』とみんなに呼びかけているそうですよ^^; 

早く見つかるといいね~

矢沢永吉さんのおはなしその3

2013年10月30日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
永ちゃんの感動する話の3回目です。 

裏切りも乗り越えたよ 

僕自身は懸命に、誠実にやってきた。 

矢沢の音楽を枯らさないようにさまざまな工夫もしてきたけれども、でも悲しい事件は起きた。 

その頃僕は、雑誌で読んだオーストラリア、ゴールドコーストに強く引かれて、そこに拠点を作ろうと考えた。 

1987年のことだった。 

大自然に抱かれて、ここから世界に発信していくスタジオや音楽学校を作る夢が膨らんだ。 

当初26階のビル建てる予定で土地の取得を始めたりしているうちに、日本でバブルが崩壊してしまい、新しいビルを建てるのは次期を待つことにして、買収したビルにテナントを入れ、その収益で土地購入代の返済を続け、十分に採算の取れる運営を行った。  

このオーストラリア事業は、信頼している2人の部下に任せていた。  

英語がうまく、現地で交渉ごとをさせるには適任と思えた人間と、金融関係や不動産関係の仕事経験が豊富な年長の人間。  

うまくやってくれる人選だと思った。 

もちろん、僕自身もチェックは怠らない。 

各テナントからの支払い状況、会社の出納状況、請求書のチェックから登記簿の精査も続け、事業は順調に動いていると信じていた。 

その事件が発覚したのは、98年のことだ。 

現地の責任者だった彼らは、僕の会社を使って別のビジネスをやっていた。 

毎月送ってくる報告書はニセモノで、銀行のレターヘッドから支店長のサインまで偽造。  

詐欺、横領、公文書偽造、私文書偽造、起訴件数73件。 

被害総額30億円以上。 

その借金すべてを背負うのは矢沢自身だった。 

借金の大きさもそうだけれど、僕は身内に裏切られたショックがものすごく大きかった。  

気持ちがボロボロになってしまい、もう立ち直れないほど打ちのめされたね。 

発覚直後から、毎日毎日酒を飲み、もう駄目だ、もう駄目だど落ち込み続けてた。 

これで矢沢も終わりだと思って、真っ暗な闇の中にいるような気持ちでしたよ。 

でもね、1週間もそうやっていたらアホらしくなってきて、ある日ふと気づいたのね。 

これは映画だと思えばいいやって。 

ほら、人間は何度も生まれ変わると言うじゃないですか。 

このたび僕は、キャスティングによって矢沢永吉になったわけ(笑い)。 

室町時代にも江戸時代にも何かやっていて、さあ昭和20年。 

今度はお前、矢沢永吉をやりなさいとこの世に送り出されてきた。 

「生活保護受けて、苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。 

悪くないよね。 

「でも途中でオーストラリア事件とか、いろいろ苦しいことも起きるけど、まあ人生を楽しんでこいや」って。 

あんまり苦しかったから、パーンとそんな考えが浮かんだのかも知れない。 

それから僕の嫁さんも含め、周囲が言うのね。 

矢沢なら返せない金額じゃないよと。 

そこから僕はライブやって、やって、やって、ある日借金はゼロになってた。 

僕は皆さんにも言いたいね。 

リストラされたって、借金を背負ったってそれは役だと思え。 

苦しいけれど死んだら終わりだから、本気でその役を生き切れ。 

つまり視点を変えれば、気持ちが切り変わるって事なんだ。

自然の美しさに感動(*^^*)

2013年10月24日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
こんにちは~。スタッフのMです^^ 

先日、保育園の運動会の日の朝、 

早起きが苦手な私ですが、お弁当作りのため頑張って早起きしました。 

って言っても6時前なんで、そんなに早くもないんでしょうけど・・・^^; 


リビングのカーテンを開けると、外はもうすぐ日が昇ろうとしているときで、  

東の空には、今から昇ろうとしている太陽の光が雲に反射して、 

今まで見たことないようなキレイな朝焼けがみられました
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夕焼けのように見えますが、、、朝6時過ぎの東の空です 

普段早起きしている方は、もしかしたら何度も見られているのかもしれないですね。 


私は久々の早起きで、なかなか見られない光景に感動し、 

しばらく余韻に浸って、、、お弁当を作るのをすっかり忘れていましたが・・・^^; 


ヤバイ!時間がない~ と、我に返って、 

その後は親子4人分のお弁当作りましたよ~ 


それにしても、自然が作りだす美しい光景って、 

偶然でもなかなか見れないもんですよね~。。。 

また自然の美しさを目の当たりにしたいものです 


今度鹿児島に行くので、今度は桜島に感動するかも~

矢沢永吉さんのおはなし2

2013年10月23日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
永ちゃんの感動する話の2回目です。 

臆病だから、勝ち抜ける 

気持ちが悪いことは 

放っておくな 

僕は自分の中に鋭敏なレーダーを持っている。  

自分はまともな人間だと思っているから、芸能界で当たり前のように人が準じているルールに対しても、変だとレーダーが働く。  

それはきっと僕自身が臆病であるからだ。 

これからもずっと矢沢らしく歌って生きたいと願うから、それを阻むものに反応する。 

だからいつでも自分に質問を投げかけてきた。 

後悔はしていないか。 

何かおかしいと感じていないか。 

今の僕は間違っていないか。 

その質問に、頭で理屈を考え、自分を納得させることが大事だ。 

自分で臆病だと認めるのはなかなか難しい。 

しかし、本当は臆病と緻密な考えとは背中合わせにあって、怖いからこそ有効な防衛策を繰り出せるのだと思う。 

とにかく目をそらさずに自分の現状をはっきり把握したいと僕は思う。 

うちの会社ではいつも若い人に言う。 

例え先輩に対してでも、言うべきことをのみ込むなと。 

やっぱり上の人間は、少しずつ時代遅れになっていたり、古い習慣になじみすぎて細かい良しあしが分からなくなっていることがある。 

ささいなことでも、見えたら発言するべきなんだ。 

1987年当時、一つの頂点を極めた僕に、移籍した先の東芝EMIのディレクターがこう言った。  

「ボス、はっきり言います。 
今のボスは車で言うとロールスロイスです。 
業界も世間も認める高みにいます。 
でも、我々サラリーマンでも手の届きそうな190E小型ベンツになりませんか」 

その頃矢沢が直面していた危機がそれで理解できた。 

あの一言には心を揺さぶられたね。 

自分たちの人生は自分で守らなきゃいけない。 

矢沢の歌手生命だってそうだ。 

自分らしく生きていくってサバイバルなんですよ。 

それを日本人はどこかで他人任せにしてきたと思う。 

国が守ってくれる、法律が守ってくれるって、本当か。 

国家賠償を頼みの綱と念じても、裁判をすればほとんど国が勝訴する。 

信じて払い続けてきた社会保険制度だってボロボロだ。 

これは起きるべくして起こったと思う。  

国民は「お国様」を無心に信じてきたけれど、国を動かしている役人も人間で、自分の身が安泰ならどこかで危機管理意識がゆるくなるものなんだ。 

そして、その精神はきれい事や建前に甘んじている。 

役人が変だと感じても、誰も論じようとしない。 

その危うさはかろうじて立っている積み木のようなもので、1カ所バランスが壊れたら、あっという間に全部が崩れ去るに違いない。 

若い人が自分の仕事をどう考えるか、ということにも甘さが見えるね。 

漠然とエンジニアになるとか、スポーツで食べていくとか、ぼんやり絵に描いた餅のような目標から、もっと尖ってつきつめていかないと、何者にもなれないよ。 

スターになる、と夢のようなことを言ってきた矢沢が、そんなことを言うのはおかしいか。 

でも、僕は小学校の頃から貧乏でサバイバルしていたし、目標が鮮明だった。  

若い人は、甘い現実にいるということから知らなくてはと思うね。
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