スタッフらくがきBLOG

e-gardenのホームページ  たぶん、昨日で1歳です。

2011年9月5日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
こんばんは、e-garden(いーがーでん)のホームページの育ての親、中村穂高です。 

実は私の記憶が正しければ、今日9月4日は、e-garden(いーがーでん)のホームページがリニューアルしてちょうど1年になります。

ホームページがリニューアルしたときと、メニューの項目はあまり変わっていませんが、 
ページ数はずいぶんと増えたなあ。 

ブログはほぼ毎日更新していますし、 
エクステリア施工例や、リフォームのページは、ずいぶん増えました。 

奥の細道」や「ぐみの木計画」、「エクステリア商品紹介」のページなんかもできました。  

あまり、変化がないページももちろんありますけどね。 
「お薦め植木」や「ペットのエクステリア」も、がんばっていかないとなあ。 


この1年の間、管理人として育ててきました。 
だいぶ成長したとは思いますが、まだまだ。 
次の1年は、この1年以上に大きく成長させ、お客様にためになる情報、おもしろい情報をドンドン発信していきます。  

e-garden(いーがーでん)のファンのみなさま、 
今後ともe-garden(いーがーでん)をよろしくお願い致します。

プールの中身

2011年8月31日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
イタリアとフランスとアメリカの首相がとあるリゾートホテルのプールサイドでヴァカンスを愉しんでいた。 

そこへ妖精が現れ

 「皆さんは日頃政治の世界で活躍してお疲れでしょう。 褒美におひとりに一つの望みを叶えて差し上げましょう。 

このプールに飛び込むときに好きなモノの名を呼びなさい。水はすべてそれに変わります」  

その言葉が終わらぬうちにイタリアの首相が飛び込み台に走っていき 

 「イタリアワイン!」と叫んで飛び込んだ。  

プールの水はすべてイタリアワインに変わり、首相は飲んだり泳いだりして楽しく過ごした。  

それを見たフランスの首相はプライドを刺激され、自分も走りながら

 「フランスワイン!!」と叫んで飛び込み、飲んだり泳いだり楽しく過ごした。 

それを見ていたアメリカの首相は心の中で

 (こいつらのバカさ加減にはあきれるわい。何がワインだ。  

俺なら黄金にするか…いや飛び込んだときに痛いな、ダイヤモンドにしようか……)

 と考えながら飛び込み台に登っていき、そしてうっかり足を滑らしてこう叫んで落ちていった。

 「クソッ!!!」 


ロマンティックコラムニスト ネオツブカ―の松尾でした。

我が家の家庭菜園のにがごいを 故郷の焼酎でいただきます。

2011年8月30日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
こんばんは、鹿児島出身のエクステリアプランナー e-garden(いーがーでん)中村穂高です。  

昔、鹿児島県で二級エクステリアプランナーの試験を受けたとき、 
受験者数 

2名 


でした。  

そのころエクステリア業界の知名度は世間的にはかなり低かったと思います。 
鹿児島は特に。 
今はどうだろ? 


さて、我が家のプランター菜園で育てた、ゴーヤ(鹿児島では「にがごい」といいます)、 
昨晩、食することができました。  

妻がちいさいゴーヤを丁寧にきざんでくれました。
 「小さいから切りにくい」 
と愚痴をこぼしながら。 

ありがとう。 

おいしく、砂糖とポン酢で甘く味付けしてくれ、ゴーヤの苦さと混ざりあい、酒の肴にちょうどよくなってました。
今夜のゴーヤの相棒は、芋焼酎『白玉の露』。 

まぼろしの焼酎『魔王』を作っている白玉醸造さんの焼酎です。 

コクと薫りがいいですね。 
(ほんとは焼酎のコクってよくわからないけど) 


ゴーヤでしぶくなった口の中を中和してくれます。 

うまいねえ。 


きゅうり、ゴーヤ と、我が家の夏野菜の家庭菜園は打ち止めです。 

次は何を育てようかなあ。 


私がチャレンジしたDIY 家庭菜園日記はこちらをご覧ください。 

坪庭満載!! JR博多シティのシティダイニング くうてんがおもしろい

2011年8月26日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
こんばんは、鹿児島出身のe-gardenスタッフ、中村穂高です。

実は、8/24に私の出身高校の同窓会がありまして、福岡市博多駅にいってきました。 
鶴丸若手会 
(鶴丸カラーはエンジです) 


上は40代半ばから、下は大学3年生まで、幅広い年齢の同窓生が30人ほど集まり、楽しく語らいました。 

その会場になったのが、3月にオープンしたJR博多駅の上階にある
JR博多シティの9F 10Fにあります、 
シティダイニング くうてん 

のA&K ビア&フードステーション。 


鶴丸若手会が開かれたお店もステキだったのですが、 
ご紹介したいのは、そのシティダイニングくうてんの9F 10F の空間。  

坪庭をポイントごとに作り、屋内なのに、緑が多い空間になっています。 
そしてトータルにデザインされた内部装飾とセミオープンな店舗がいくつもあることで、 
複数の店舗が存在するのに、まるでひとつの空間に思えてくる、そんなステキな空間でした。
随所に坪庭があしらわれています。
上左 ひょろひょろとした樹形がやわらかくいい感じです。 
何の木だろ?  

上右  左の写真の足元です。 
高木と低木と景石の組み合わせがステキです。 
カメラマンの腕が悪く、この感動を伝えられないのが残念。
これなんか、画期的。 
10Fから9Fに落ちる
蹲(つくばい)
ライティングの効果もあって、かっこよさ倍増です。 


じっくり、ゆっくり見るヒマがなかったのが残念でした。 
今度は時間に余裕があるときに行こう。 

お庭好きな方、特に和風坪庭大好きな方、是非行かれてみてください。 


最上階には、「つばめの杜」ひろば もあります。 


博多駅のアミュプラザ、東急ハンズ、Tジョイ で楽しんだあと、 
シティダイニングくうてん、つばめの杜ひろば でくつろいではいかがです

松下幸之助さんの流儀

2011年8月25日|カテゴリー「スタッフらくがきBLOG
松下幸之助さんのお話を「致知」からいただきました。

私が松下の大将(松下幸之助氏)のところへ
入れてもらったのは、
大正十年、満十五歳の時です。

昭和三十六年に三洋の本社常務として
移籍するまでの四十年間は現場一筋でした。

当時の私は、本当に跳ねっ返りでしたからね。

仕事に対するヤル気はあったのですが、
理不尽なことも多くて、職工、住み込みのぼんさん、
新聞売り、出前持ち、大阪市役所の給仕などを
転々としていたんです。


(インタビュアー:転々とされる中で、松下幸之助さんと出会われた)


うん、出会いですなあ。松下といったって、
まだ大将の家と作業場が一緒になっているような
町工場のころですからね。


「大将使うてえな」といったら、
「えらい可愛らしいぼんさんやな。ほな明日からおいで」
といわれましてね。

ところが、仕事させてもらってびっくりした。

木材や鉄板を切ったり、穴開けたり、
曲げたり叩いたりするでしょう。

これ、家でね、柱やら襖に穴開けたりしたら
「いたずらすんな」って殴られるのがオチですわ。

工場で同じことやったら、ようやったと褒めてくれて
給金までくれよる。
こんな仕事が世間にあるということが驚異でした。

自分にとっては遊んでいるようなもんです。
当時は朝七時から晩七時までの十二時間、
休みは毎月一日と十五日の二日間でしたが、
もう楽しく喉鳴らして仕事に行きましたな。


(インタビュアー:“好き”ということは、大きいですね)


仕事は好きにならねばいけませんな。
私の場合はたまたまでしたけど、
後に、このことが大きな差になってきます。


そんなある日、先輩の職工が労働組合を作りよった。
賃上げの要求出すから、みなでストライキを打つというんですな。
私は、休みでも好きで仕事をやっとるから、
嫌やといったんですが、
この時の松下の大将の対応がまた素晴らしかった。


大将はもともと体が弱かったんです。
三日勤めたら一日休みをとらんならんような、
やせた役者みたいな男前でした。
その人が、烈火のごとく怒りましてね。


「賃上げの要求を出して、わしが聞かなんだら、
  ストライキを打たれても仕方がない。
  それを、ストライキを打ってから要求書を出すとは何事か。
  筋が違う!」


いいましてな。かなりもめたけど、
結局、全員解雇してしまった。
頑として、信念と理念を曲げません。


あの優男(やさおとこ)然とした人が、
あれだけの勇気があるとはね、
子供心にも偉い人だと思いましたな。


しかも、よう人情の機微を押さえておられる。
後に、私が工場長をしていた時に、工場の余剰金を
工員慰労のために使い、報告が遅れたことがありましてな。


その話が別のところから、先に大将の耳に入ってしまった。


しもうた! と思っても遅い。
すぐさま家に呼ばれた。夜十時ごろでしたな。

松下の大将は赤々と燃えているストーブを囲んで
親戚の人と何やら話をしておられたが、
私の姿を見ると烈火のごとく怒鳴り始めた。

火かき棒で、そのストーブをバンバン
叩きながらやるわけです。

あまりの凄まじさに見兼ねて、親戚の人が止めに
入ってもやめません。
私は貧血を起こして倒れてしまいましたよ(笑)。


こういう叱り方をしたら、
こいつはこうなるといった作為は全くありません。


全身全霊、叱りつける。


これは骨身に染みますな。


しかしね、この後が違うんですな。
ひん曲がった火かき棒をぬっと出して、


「これを真っすぐにしてから帰れ」。


私がそれを直すと、


「やっぱり後藤クンはうまいもんやなあ」


との一言がつく。


外に出ると秘書課長が待っていて、
私を送ってくれたんです。

で、私の女房を路地に呼び出して、
ひょっとして自殺せんとも限らんから、
夜通し目を放さんように、と耳打ちしたそうです。


しかも、翌日の朝七時、始業前に事務所の電話が鴨り、
出てみると大将です。


「ああ、後藤君か、別に用事ないねん。
 気持ちようやってるか。
 そうか、そらあ結構や」
 
 
といって、すぐ電話が切れた。
心なしか、せっかちな声が優しい。

これで昨夜以来のモヤモヤしていた気持ちが
素っ飛んでしまいました(笑)。
pagetop